
1851年、アイザック・メリット・シンガーが第1号実用ミシンの特許を取ってから、159年にわたり、お客様により愛されるミシンを作り続けてきたシンガー。世界で最も古くから、そして広く知られているミシンブランドです。 |
1850〜 |
| 1851 | 創業者アイザック・メリット・シンガーが<I.M.Singer社>を創立。綻縫式ミシンの特許を取得。 |
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1860〜 |
| 1863 | シンガー裁縫機械会社として法人会社となる。所持特許数22、資本資産550,000ドル。初代の社長はインスリー・ホッパー。毎年約20,000台のニューファミリー型改良ミシンが売られる。 |
| 1867 | スコットランドのグラスゴーでミシンの海外製造を開始。 |
1870〜 |
| ■世界で最も有名なエンブレムのひとつ、Red“S”Girlトレードマークがデビュー。 |
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1880〜 |
| ■世界での年間売り上げ、500,000台を超える。 |
| 1882 | ジョージ・R・マッケンジーが3代目社長に就任。 |
| 1883 | 英国のクライドバンク市に週に10,000台生産可能な巨大製造工場設立。 |
| 1887 | 4代目社長にフレドリック・G・ボアーン就任。 |
| 1889 | 初の電動式ミシン発売。 |
1890〜 |
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1900〜 |
| ■シンガーミシン日本に上陸。神戸、横浜に中央店を開設 |
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1910〜 |
| 1912 | アメリカ、アーカンソー州にトルマン工場完成。 |
| 1913 | 空前のミシン年間販売数、2,500,000台を記録。 |
| 1917 | <ロシア革命>により、約1億ドルの投資と市場を喪失。 |
1920〜 |
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1930〜 |
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1940〜 |
| 1945 | アメリカのエリザベスポート工場、イギリスのクライドバンク工場が再稼動開始。 |
| 1949 | 44年間社長を勤めた、サー・ダグラス・アレクサンダーが逝去。ミルトン・C・ライトナーが6代目社長に就任。 |
1950〜 |
| 1951 | 会社経営100周年を迎える。株主数4500を数え、年間売上げは3億780万ドルに達する。 |
| 1958 | ドナルド・P・カーチャーが7代目社長に就任。年間売上げが5億700万ドルに達する。<シンガー・フェザーウェイト>フリーアーム型クラス222Kを発売。 |
1960〜 |
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1970〜 |
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1980〜 |
| 1981 | 航空飛行訓練の新企業である<Simu Flite Training International,Inc.>を組織。 |
| 1985 | <モナミ1740>シンガー初のグッドデザイン商品に認定される。 |
| 1987 | 小型コンパクトミシン<QTシリーズ>発売。 |
| 1989 | 9代目社長、ウィリアム・F・アンドリュース就任。 |
1990〜 |
| ■売り上げが20億ドルに達する。 |
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2000〜 |
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2010〜 |
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いろいろなミシン |
創業当時からシンガーで発売されたミシンの代表的なものをご紹介します。家庭用から業務用まで変化し続けています。 |
The first machine |
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発売された1号機は、梱包箱にそのまま組み立てが出来る様になっていました。組み立てといっても踏板とハズミ車を連動させるだけの簡単なものだったのです。ポスターが梱包箱の外側に貼られた木箱は、そのままシンガー初のキャビネットとなりました。 |
The early machines |
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1856年には〈タートルバック〉として知られている美しい小型のミシンが、初めて家庭用に設計されました。 このミシンは張り出したシャフトにより、往復するカマと縫針を動かす様になっています。 踏板の上下運動から、より多くの動力を伝達できるよう設計され、幅広のベルトを通って回転ホイールに動力が伝わる仕組みになっていました。 |
New Family Model |
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改良を重ねて、1865年にニューファミリー型ミシンが生産され、1890年頃までには400万台以上が、デザインを変えて世界中で販売されました。下糸の動くボビンケースは長舟型シャトルと呼ばれ、ミシンの下側を左右に往復して、ハンドル1回転で3針縫える仕組みです。歯車の数は69:23で足踏み式ミシンとしても工夫されていました。 |
Industrial Machine |
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一見空想にしか思えない"Class41"は、一回の操作で2〜12列の平行なステッチが出来るミシンです。3本〜12本の針を2〜13/32インチ(約5〜1cm)内で、好きなように位置を変えることができ、ステッチの間隔は針の付換だけで変更でき、他の調節は一切必要ありません。このミシンの2つのカマの間隔は最短で3/16インチ(5mm)なので、カマには下糸のボビンを容れることができません。下糸は糸巻からカマに送られます。糸巻が全部使われて空になるまで、糸が常にカマの中央を通る様に誘導するので、紡錘状の糸巻は外側の端からではなく、中央部から糸を送る方式でした。 |
"Standard" Series |
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1号機の発表の翌年、1852年に1号機を改良したミシン、"No.1 Standard"が発売されました。基本的に工業用として開発されたミシンで、1880年までに何十万台と売れました。1854年には、"No.2 Standard"がその後を引き継ぎます。"No.1"と外見上はよく似ていますが、作業によって回転、振動、バネ式と、"押さえ"を交換する事ができました。重量はNo.1よりは重く、アームの下の空間がより広く改良されていました。そしてその2年後の、1856年には、この"No.3 Standard"が発売されます。これも内部機構は、前のものとほぼ同じですが、馬具や馬車の装飾等の革製品を縫うために特別に設計されたもので、アームの下に18インチのスペースが取られ、その後の矩形のベッド形状の定番となりました。 |
Class 15 series |
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15種型ミシンは、長年に渡り改良を重ねながら生産されたロングセラーです。中でも、15U150型は1960年に宇都宮工場で生産されました。写真の15種46型は、明治から大正期にかけて日本に輸入された物で、モザイク風にデザインされた帆立貝の柄がブルーだった為"青貝ミシン"と呼ばれました。カム天秤とセントラル型ボビンケースを使い、丈夫な縫目が得られ、家庭用ミシンとして重宝されました。明治43年には即金で128円(分割160円)、大正10年には3個引き出しテーブル付きが即金で144円(180円)という記録が残っています。 |
広告/ロゴマーク博物館 |
おなじみのロゴマークに関するエピソードやシンガーミシンの発展に大いに役立った広告をご紹介します。 |
The Red "S" Girl |
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もうすっかりお馴染みとなったシンガー社の"S"マーク。近年になるにつれ、段々とモダンでシンプルなデザインに変わってきました。創業の時代から、今で言うキャンペーンガールとして多くの女性を雇用し、その簡単な操作性をアピールしていたのは良く知られています。ドレス姿の女性がミシンを踏んでいる古い写真を見た事があるのではないでしょうか?印象的なこの写真が、トレードマークの発端に成った事は想像に難くないでしょう。実際には1870年に、赤い"S"のトレードマークがデビューしました。勿論、世界で最も有名なマークになったのは言うまでもありません。 |
The Red "S" Girl |
"SINGER"という言葉は創設者の名前からとった企業固有の名称ですから、ほとんどの国でそのまま表記されます。ミシンを踏む女性の服装が変わっていったのは、時代の移り変わりによるものですが、「"S"の文字は変わらないはず!」と思われるでしょう?世界中にミシンを広げたシンガー社ならではのロゴマーク、旅先などで探してみるのも良いでしょう。 |
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Oil Bottles |
缶が普及するまでの間、ミシンオイルはガラスのボトルにコルク栓という姿で売られていました。ここでは、美しいボトルと、その周辺のお話をしましょう。ラベルが付いていないボトルは、カマのエンブレムがガラスに浮き出したシンプルで美しい物です。 |
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これは赤と緑で印刷された紙箱に入り、箱からは"お試しミシンをタダで使ってみませんか?"と読めます。お馴染みのシンガーガールのラベルが付いたボトルも勿論ありました。とりわけ美しい大きなボトルには、"ミシンと自転車に最も良いオイル"と大きく書いてあり、一番下には小さい文字で"自転車は売ってません"とあります。1890年代に大流行した自転車を、宣伝文句にチャッカリ取り入れた物で、宣伝上手と言われるのも頷けます。 |
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The Post Cards |
博覧会で配られた、36枚組の美しい絵葉書のお話をしましょう。これはシンガーミシンが普及している国、つまり36ヶ国の人々がそれぞれの民族衣装を着てミシンを使っている写真を元に石版画で起こしたもので、1893年にシカゴで開催された博覧会で配られました。 |
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100年以上も経った現在では、地図から消えてしまった国もありますが、ミシンが世界中で使われていることを、これ程効果的に表現できたのも、シンガーミシンが世界中で愛されていたからでしょう。 |
あなたのミシンはいつのもの?どこのもの? |
機番から、あなたのミシンがいつの時代に、どこで作られたものかわかります。
あなたのミシンのシリアルナンバー(機番)が「数字」のみなのか、頭に「アルファベット」が付いているか確認し、下記項目から選んで探してください。
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その他 |
シンガーの創設者や製品の販売方法など、シンガーに関するいろいろなエピソードをご紹介します。
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Isaac Merritt Singer |
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シンガーの創立者、アイザック・メリット・シンガーは1811年にアメリカ合衆国のニューヨークで、貧しいドイツ移民の8番目の子供として生まれました。不遇な少年期から40代までの大半を旅役者として生活していましたが、当時から機械に対する非凡さを示し、削岩機や切削機器の発明もしていた様です。ある日、実用としては未完成なミシンを見かけた事から、その将来性に着目し改良を試みます。 |
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その結果、従来品を遥かに凌ぐ実用機を作り出し、友人の協力資金40ドルを元に、1851年にミシン製造・販売会杜〈I.M.Singer社〉を創立しました。直後に、特許権の侵害で訴えられ〈ミシン戦争〉と呼ばれる事態を引起こす危機もありましたが、この事件が後の共同経営者、弁護士エドワード・クラークとシンガーを出会わせました。事業は好調に伸長し、1863年には会社を再編〈シンガー裁縫機械会社〉を設立します。晩年、事業から離れ欧州に移り住んだI.M.シンガーは1875年、イギリスでその生涯を終えました。 |
The installment plan |
現在私達にとってお馴染みになっている‘月賦購入制度’つまり分割払いですがこの方式を考案したのが、実はシンガーなのです。当時ミシンの価格は約100ドル、一般家庭の平均年収の1/5にあたる大変高価な物でした。“多くの人に、なんとか安くミシンを”という願いから、中間マージンを省いて価格を下げる直売方式を工夫した結果、画期的な月賦販売が考案されたのです。‘信用販売'という企業としても大きな冒険でしたが、新聞や雑誌に見開きの大きな広告を出す等、ミシンの認知度を上げるシンガー社の努力もあって、頭金たった5ドルで誰もがミシンを手に入れる機会が訪れました。 |
The Singer Building |
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1908年、“財政の天才"と呼ばれた五代目社長サー・ダグラス・アレクサンダーの時で、シンガー社の経営部門として、ニューヨーク、ブロードウェイ149に建設されました。当初は41階建てでしたが、後に増築され47階建てとなりました。その高さは約186メートル、世界初の超高層ビルとして地元ニューヨークっ子は勿論のこと、世界中の度胆を抜いたのです。その先進性に反して、外観は赤い煉瓦造りで古典的な美しさを持ち、老舗シンガーの象徴として、その後54年間の長い間人々に親しまれました。 |
The Singer Clock |
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スコットランドのキルボーイ工場は1867年、合衆国エリザベスポート工場は1873年にそして1883年には英国にクライドバンク工場が、相次いで建造されました。世界市場への生産体制を整えたのが、まさにこの時期です。とりわけクライドバンクの本部社屋には当時最大の時計を持つ、巨大な時計塔が併設されていました。直径6メートル以上、短針1.83メートル、長針2.6メートル、重量1トンの時計なんて、想像できるでしょうか?この時計塔もN.Yのビルの様に、長い間クライドバンク市民の親交の象徴として親しまれましたが、残念な事に本部の閉業とともに解体されてしまいました。 |